『知日』は中国の雑誌で、日本の文化、ライフスタイルを中国人に伝える雑誌で、各号毎にテーマを取り上げている。そのテーマがユニークで中国で大ヒットしている。記事の視点もユニークで、日本人が読んでも面白く、日本でも話題になっている雑誌です。
私がとくに大事にしているのは昨年の11月頃に出版された「太宰治」をテーマにした『知日』です。中国の人はこれを読めば太宰治のほんんどを知ることができるでしょう。
太宰治の生い立ち、作品、関わった人たち、自殺未遂、自殺など、これだけうまく編集された本はないような気がします。それに写真、資料が豊富です。
私は中国語をすらすら読めるほどの実力はありません。それでも、中国語を勉強しながら期間をおいて読み返せば、この本には発見がある。
私の好きな「富嶽百景」で、御坂峠を降りて甲府に縁談のことで行ったことが書かれている。
このうへは、縁談をことわられても仕方が無い、と覚悟を決め、とにかく先方へ、事の次第を洗いざらい言ってみよう。—-中略—–
娘さん、落ちついて、
「それで、おうちでは、反対なのでございませうか。」と、首をかしげて私にたづねた」
石原美和子(津島美和子)と結婚し、新婚を甲府で暮らしたときが太宰治の頂点だったでしょう。
知日からこのようなことを知りました。
石原美知子对太宰治的第一印象早在双方见面之前,石原美知子就曾在旅行途中在青森县车站附近的成田书店买了太宰治的作品《虚构的 彷徨/通俗之物》,读了之后,便被太宰治的文才所吸引。后来太宰治将出版的第一部作品集《晚年》赠给了石原美知子,同一时期石原美知子又读了太宰治在《新潮》上发表的作品《姥舍》,更加佩服太宰治的写作能力与文学功底。
读了他的两本著作,虽然还未见面,但却深为其天分所倾倒。
我的话,从最初开始便已经有了觉悟。
我并没有和作为普通人的太宰治结婚,而是同一名艺术家结婚了。 如果要为他的文学付出什么的话,无论做出任何牺牲都在所不惜。
わたしの概要翻訳
二人が会う以前に、石原美和子は太宰治の小説を2冊読んでいた。彼女は太宰治の文才に惹かれ、その能力に感嘆していた。
会う前から覚悟は決まっていた。太宰治という男と結婚するのではなく、太宰治という芸術家と結婚するのだ。いかなる犠牲も惜しまない。
婚后的 作家生活婚后的太宰治逐渐从阴影中走了出来,转换了心境,决定不再急于求成地追求芥川奖,而是脚踏实地作为一名作家进行文学创作。二人在甲府市御崎町开始了新婚生活,这样太宰治首次体验到了家庭团圆的欢乐。终于安定下来的太宰治,为了集中精力写出更好的作品,从早上就开始写小说,中午会吃妻子做的饭团,下午3点左右结束天的工作。太宰治的生活作息及工作方式变得有规律,更加健康。虽然一切家务都由妻子负责, 但妻子对此并没有任何的怨言与不满,她认为太宰治的手是用来写作的。
私の概要翻訳
石原美和子との結婚で太宰治は変わった。脚を地につけ、一人の作家としての創作に取り組んだ。甲府の新婚生活で、太宰治は落ち着き、創作に集中した。規則正しい、健康的な生活だった。妻は一切の家事に不満を言わず。太宰治の手は書くためにあると考えていた。
太宰治在妻子的全力支持下,使用了全新的文体,即由自己口述,妻子负责文字记录,在每个停顿的地方加上句号。也正因为使用了这种方法,太宰治发展了其独特的自言自语式的文体,作品中以节奏鲜明的独白直接向读者叙述,吸引读者去看下文。正是由于这种文体受到了读者及文学界的肯定,太宰治连续接到了众多刊物的约稿。—中略—一时间,太宰治成了炙手可热的文坛新秀。
私の概要翻訳
太宰治は妻の全面的な協力で、全く新しい文体を用い始めた。それは妻が太宰の自由な口述を書き写した。停まったところで句点を打った。この方法で太宰治はユニークな文体を発展させた。読者にリズムを伝えることができる。この文体は読者から受け入られ、作家としての仕事が増えていく。—-
この時期、太宰治は文壇のホットなルキーになった。
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