神保町に『在日本』の原書(中国語)があった 

img_5432

『在日本』の原書(中国語)を神保町の東方書店にあった。

『在日本』は、日本の大学に留学し、七年間日本で生活した中国人が、”在日本”で見た日本ー生活、慣習、食べ物、文化、芸術などについて、中国の人たちに紹介している。

原書のほうが、翻訳版の『「在日本」中国人がハマった! ニッポンのツボ』より、一回り大きく立派である。それに翻訳版にはない記事もかなりある。

中国と日本は文化、漢字など共有するところがある。だから他の外国人の視点とは違う。中国人だから自国の歴史、文化、漢字と比べて見れるものがある。ただのエッセイではなく、よく考証されていて、日本人にも勉強になる。

毛丹青(責任編集)は神戸国際大学の教授、中国語版発行責任者の李淵博は神戸国際大学に留学していた。それで神戸は得意でしょう。本を開くと「同村上春樹一起散步  沿神户小景, 且听风吟」(村上春樹を歩く 神戸沿線で『風の歌を聴け』)から始まっている。

 

同村上春樹一起散步  神户小景, 且听风吟

img_5439

日本兵库县神户市,这是一个奇妙的城市,和熟知的东京、大阪、京都等地相比,它似乎没有一个具体的城市形象,但说起和牛、巧克力、点心,又似乎对神户有了一点印象。这个位于日本关西地区的都市,它面朝大海,还有许多的小故事。

日本现代著名小说家村上春树出生于京都,生长在兵库县西宫市,高中就读于县立神户高中。对于神户, 他也有着独特的情怀。1979年,村上春树大约花了六个月的时间,完成了≪且听风吟》这部长篇小说,书中的 “我”眼中的神户,是怎样的景象?

村上春樹を歩く 神戸沿線で『風の歌を聴け』

兵庫県神戸市、このまちは首都東京都とも第二の都市大阪とも、また古都京都とも違い、どうしてもこれという明確なイメージが湧いてこない。での「神戸ビーフ」、「洋菓子」、「異人館」なんでキーワードをいくつか並べてみると、なぬにやらその輪郭がみえてきたような気もする。この海に臨む関西の西北部に位置するまちは、これまでにいくつもの物語を紡いできた。

生まれは京都だが、兵庫県西宮市と芦屋市で育ち、県立神戸高校を卒業した、日本を代表する小説家村上春樹。彼も神戸に特別な思いを抱く一人だ。1978年、村上は6ヶ月ほどの気k何で神戸を舞台にした小説『風の歌を聴け』を完成させる。作中の「僕」に、神戸はどのように映っていたのだろうか?

小説にまつわるところを紹介している。

img_5438


88のテーマで書かれている

img_5444

テーマの冒頭の部分の引用です。日本文は翻訳版の「在日本」です。少し要約されて翻訳されている。

天空之花

夏天看烟花,历来是日本的传统文化活动。烟花在日本被称为“花火”,花火大会相传始于江户时代的德川幕府八代将军德川吉宗。1732年,江户城瘟疫流行,火灾频传,为了消灾解厄,幕府决定在东京都的隅田川畔施放花火,为水神举行祭礼’赶走恶灵, 追悼逝者。因此,夏季花火大会最初是祭奠 亡灵的慰灵祭。
当然,发展到了现在,日本人去看花火大会,已经不是为了祛除恶灵了。人们在晴朗夏夜穿浴衣,蹬木屐,呼朋引伴,聚众小酌,凭水临风,观看花火,已被定格为江户风情的代表性场面。

花火

夏の風物詩と言ったとき、日本人が真っ先に頭に浮かべるのが「花火」らしい。その起源は徳川八代将軍吉宗が江戸の町に広がった疫病と大火災の収束、そして命を落とした人々への追悼のためい、隅田川であげたのが始まりとされている。だから当初は、鎮魂祭の形を取っていた。しかし今の私たちの頭に浮かぶ「花火」の情景と言えば‥

 

 

红妆奶奶

在日本留学之旅中,我最想念的是外婆。从小我就一直跟在外婆身边长大,每次妈妈来接我回家小住的时候我还会哭鼻子,哭哭啼啼地不想离开外婆家。长在外婆家,我也眼看着外婆的头发慢慢变得花白,变得稀少,看着她的个子一点点变矮,看着她眼睛渐渐浑浊。走路再也带不起风。在时光的缝隙里,我看着外婆衰老,而外婆也见证了我的成长。 我的外婆和咱们中国的普通老奶奶们一样,一辈子朴素认真,老了也舍不得在自己身上多花一分钱,总是为下一代、下两代做着打算。所以,“奶奶”在我的心里是朴素而温暖的存在。

来到了日本,最先吸引我的不是干净的街道,不是便利的交通,也不是诱人的美食,而是日本的奶奶。和中国奶奶差别很大,日本奶奶出门会带着精致的妆容,即使再匆忙,也会擦上口红来装点气色。所以我在心里偷偷地叫她们“红妆奶奶”。

おばあちゃん

日本に留学中、一番恋しく感じたのが、故郷のおばあちゃんだった。幼少期を祖母の家で過ごした私は、 典型的なおばあちゃん子で母親が迎えに来るといつも泣いてそこを離れたがらなかった。私とおばあちゃんは、いつも一緒に年を重ねてきたのだ。

そんなこともあって、日本に来て私 がもっとも引き寄せられたものは、整備された交通網でも、美味しい食事でもなく、日本の「おばあちゃん」だった。 それは同時に、日本と中国で大きく異なる点でもある。 日本のおばあちゃんは、身なりがと てもきれいだし、どんなに忙しくても 口紅を塗ることは忘れない。私は彼女 たちのことをこっそり「おめかしおば あちゃん」と呼んでいる。

 

こちらは日本語翻訳版です。

(Visited 357 times, 1 visits today)

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする