勉強素材は西日本新聞のコラム『春秋』
11月2日付けの西日本新聞のコラム『春秋』に引用されていた夏目漱石が鎌倉建長寺で詠んだ俳句と正岡子規が詠んだ『柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺』の関連についての記述を読んで、ちょっと得した気分になりました。
私は俳句を詠んだことはないが、テレビの『プレバト俳句』ファンで欠かさず見ていて、芸能人の努力と感性には学ぶことが多い。
11月5日の『プレバト俳句』でキスマイの千賀健永が詠んだ;
『夏の海を描くスプレーの秋思』
良い句ですよね。
俳句を英訳するのは難しい。でも17文字を英訳するのは頭の訓練になりそうです。
原文: 西日本新聞のコラム『春秋』11月2日の冒頭
夏目漱石は小説のほかに多くの俳句を残している。「有る程の菊抛(な)げ入れよ棺の中」の句は、思い人とされる女性の死に際して詠んだもの。やり場のない悲憤をぶつけた句として知られている。
「鐘つけば銀杏ちるなり建長寺」の句は新聞に掲載された。選んだのは親友の正岡子規という。後に子規は「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」と詠んだ。漱石に触発されて、あるいは対句として誕生したとの説もあるそうだ。
私の翻訳
Soseki Natsume left many haikus besides novels.
One of his haikus,
chrysanthemums here
throw all of them
into the coffin
He wrote it when a woman, maybe she was his loved-one, died. It was a known fact that he expressed his helpless indignation in this haiku.
And his haiku,
tolling a bell
ginkgo leaves fall
Kencho-ji
was printed in a newspaper. It was selected by his best friend, Shiki Masaoka. Later Shiki wrote,
biting into a persimmon
a bell resounds
Hōryū-ji
It is said that Shiki wrote it stimulated by Soseki or as an antithesis to the Soseki’s haiku.
「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」の英訳は、松山私立子規博物館のホームページに記載されている英訳を引用しました。