村上春樹のエッセイ集『やがて哀しき外国語』
エッセイ集『やがて哀しき外国語』には、少し長いエッセイが16編収められています。村上春樹が1991年の初めから、約2年半にわたってアメリカのニュージャージー州のプリンストンに住んでいた時に書いたものです。「もしこの本が何らかのかたちで、あなたの何かの役に立つことができたなら、僕としてはそれに勝る喜びはありません。」と言っています。
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『やがて哀しき外国語』の「ヒエラルキーの風景」
勉強しないで早稲田に合格した…どうして?
このエッセイ集のエッセイ『ヒエラルキーの風景』に、早稲田大学にろくに勉強しないで合格したことが書かれています。1965–1967年頃のことですから、村上春樹も今の受験とは違うとは言っていますが、「合格できた訳」には、若い人たち、特に中学生、高校生が、どう過すべきか、学ぶべきヒントがあります。
前に高校時代にろくに勉強というようなことを書いたら、ある読者から「村上さんはたしか早稲田を出たはずです。勉強しないで早稲田大学に入れるわけがないでしょう。嘘をつかないでください」という抗議だか詰問だかの手紙をもらったことがあった。ーーー
でも高校時代にろくに勉強しなかったというのは決して嘘ではない。ーーーまあ落ちこぼれない程度に適当に調子をあわせてやっていたから成績不良というわけではなかったけれど、かといってとくに勉強に身を入れた覚えもない。遊ぶ方がずっと忙しかったし、楽しかった。
早稲田大学文学部の当時の入試は三科目だった。村上春樹は国語、英語、世界史を選択した。
国語
読書の必要性がわかります。
僕は本を読むのが好きだったから、暇さえあれば文学書を読んでいて、その結果としてとくに勉強しなくても国語の成績は悪くなかった。
英語
1965–1967年頃、翻訳書は少なく、洋書も簡単に手に入る時代ではありません。手に入ったペーパーバックは貴重だったはずです。村上春樹が高校生の初めで、自己流でペーパーバックが読めたのは、日本の文学書をたくさん読んでいたという背景があるからでしょうか。小説家翻訳家村上春樹の原点ですね。
英語に関して言えば、高校時代の初めから自己流で読み漁っていたので英文をよむことじたいには自信があったが、それ以外の細かいノウハウ勉強をすっ飛ばしていたせいで、英語の成績はあまり芳しくなかった。
世界史
全集『世界の歴史』が中学生の頃からの愛読書だったと言っている。最近、気がついたことですが、知の巨人と呼ばれる人の多くは子供の頃から歴史が好きだったようです。この歴史のクロノロジカル(時系列)に、知識を付着させて、記憶力を高めているのではないかと思っています。
社会は何しろ世界史が得意だった。どうしてかというと、中央公論社から出ていた『世界の歴史』という全集、僕は中学校に入った頃からそれこそ十回も二十回も繰り返して読んでいたからである。たしか「小説より面白い」というのが広告コピーだったと記憶しているが、これは珍しく誇大広告ではなくて、実際に面白く楽しく読める本だった。だからこれを読んでいるうちに世界史についての大抵の事実は自然に覚えてしまって、とくにそれ以上の勉強をする必要がなかった。
このエッセイの題名が『ヒエラルキーの風景』になっているのは、当時プリンストンには日本の官庁からのエリート特権意識を持った派遣者が多く、そこでも自己紹介がわりに「私は東大出で」、「共通一次の点数は」、「…省」、「…課長補佐」などと、ヒエラルキーを持ち出し、日本で幅をきかせてエバっているだけでなく、アメリカに来てもエバっていたる…と、いうことが述べられているからです。
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