『家族という病』:下重暁子
私にも「家族だから….、家族なんだから…」と勝手に心のなかに侵入して来ては、かき乱しては去って行くストレスがある。
著者の下重暁子は、私小説のように自分と家族の関係を赤裸々に語り、家族偏重主義の社会に命題を提起している。ベストセラーの理由は、内容に重なる思いがあるからでしょう。現に、包み合うはずの家族で、世間から見たら幸せそうな家族に、毎日のように事件が起こっている。家族だから…というしがらみを、早くに絶ちきって向き合えば、逆に悲劇は防げたかもしれません。
著者の家族は、平均的な家族の姿ではないでしょう。だからこそ、家族盲信社会の危うさが見えるのでしょう。
本の序章に、この本の前提となる著者にとっての家族が述べられています。
序章 ほうんとうはみな家族のことを知らない
私がマーキングした箇所の引用です。
* 私は最近、自分の家族について何も知らなかったと愕然としているのだ。
* 同じ家で長年一緒に暮らしたからといって、いったい家族の何がわかるのだろうか。
* 幼い頃、父は憧れだった。陸軍将校で、毎朝馬が迎えに来た。敗戦になり父は落ちた偶像になった。二度と戦争や軍隊はごめんだと言いながら、かつて教育された考え方に戻っていことが、私には許せなかった。私は父を理解することを拒否した。
* 母はあらん限りの愛情を注いでるれることがうとましく、ある時期から自分について母に語らなくなった。
* 兄は、父と折り合いが悪く、東京の祖父母の下で育ったので、私は正面から兄と話した記憶がない。いずれと思っているうちに、ガンで亡くなった。
* 結局私は、父、母、兄の三人の家族と、わかり合う前に別れてしまった。
* 私だけでない。多くの人たちが、家族を知らないうちに、両親やきょうだいが何を考え感じていたかを確かめぬうちに、別れてしまうのではないかという気がするのだ。
* 家族団欒という幻想ではなく、一人ひとりの個人がを取り戻すことが、ほんとうの家族を知る近道ではないのか。本章は、いまの社会の家族は病ではないかと、自分と家族との関わり、社会の例を通して、命題を提起しています。目次を引用します。
第1章:家族は、むずかしい
- 家族を盲進する日本人
- なぜ事件は家族の間で起きるのか
- 結婚出来ない男女が増えたわけ
- 子離れが出来ない親は見苦しい
- 仲の悪い家族の中でも子はまっとうに育つ
- 大人にとってのいい子はろくな人間にならない
- 家族の期待は最悪のプレッシャー
- 遺産を残してもいいことは一つもない
- お金が絡むと家族関係はむき出しになる
- 夫婦でも理解し合えることはない
第二章 家族という病
- 家族のことしか話題がない人はつまらない
- 家族の話はしょせん自慢か愚痴
- 他人の家族との比較が諸悪の根源
- 夫のことを「主人」と呼ぶ、おかしな文化
- 「子供のために離婚しない」は正義か
- 「結婚ぐらいストレスになるものはないわ」
- 女は子供を産むべきか
- 子供が欲しくても出来ない女性に「子供を産め」は過酷
- 家族に捨てられて安寧を得ることもある
- 孤独死は不幸ではない
- 家族の墓に入らない人が増えている
- 結婚しなくとも他人と暮らすことが大事
- 家庭のアルバムが意味すること
- 家庭ほどしんどいものはない
第三章
- 介護で親子は互いに理解する
- 親は要介護になってはじめて弱い姿をわが子に見せられる
- 家族はなぜ排他的になるのか
- 家族という名の暴力
- 家族に迷惑をかけられる喜びもある
- 知的な家族ほど消滅する
- 一番近くて遠い存在が家族
- 二人きりの家族
- 家族写真入りの年賀状は幸せの押し売り
- 家族に血のつながりは関係ない
第四章 旅立った家族に手紙を書くということ
- 家族を知ることは自分を知ること
赤裸々に、亡くなった「父への手紙」、「母への手紙」、「兄への手紙」、そして「私への手紙」を紹介しています。
結局私は父や母や兄を知りたくて手紙を書いたのではなくて、私自身を知りたかったのだと言うことを悟った。家族を知ることは自分自身を知ることだったのである。そして自分がこの世のどこに位置しているかを確かめるためでもあったのです。
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