ひろさちや著「貧乏」のすすめ

ひろさちや著:「貧乏」のすすめ

貧乏人の望み、欲望はささやかです。考え方しだいで幸せになれます。

私はすすんで貧乏でいたくはありません。でも、大金持ちになれる可能性より、貧乏のままで人生を終わりそうです。本屋で著書の最初の頁「はじめに」を読んだら、最後まで読んでみたくなりました。

著書の「はじめに」にを引用要約すると、( )内は私の記入です。

—-日本の庶民の全体が貧乏でした(1950 –1960年代以前)。でも、ほんの少しの金さえあれば、貧乏なんてちっともつらくない。日本の庶民はみんなそう思っていました。そして、貧乏だけれども楽しい毎日を過ごしていたのです。

ところが、—-経済大国になって、庶民は、ほんの少々ではあるが金を持つようになりました。少々の金を持ったが故に、かえって逆に貧乏を苦にするようになりました。貧乏はいやだ、金持ちになりたいとじたばたするようになったのです。

しかし、二十一世紀になると、市場原理を重視した政治によって、格差が広がり、日本の庶民は逆に貧乏人にされてしまったのです。じたばたしても、大金持ちになる見込みはありません。であれば、貧乏を楽しんで生きればよいのです。—–

「金持ちイコール幸せではない」、「貧乏人イコール不幸ではない」と受け取り、貧乏人は貧乏を楽しみ、幸せになる方法を述べた本です。(貧乏と言ってもホームレスを楽しめと言うことではありません)

著者のひろさちやは東大文学部印度哲学科卒業、長年気象大学校教授を務め、仏教を中心とした宗教学全般についての著書が多数あるようです。名前の「ひろさちや」、表紙カバーの写真も優しそうです。でも、けして優しく、穏やかな本ではありません。

現在の日本の資本論理、金持ちに対しては、「資本の論理に毒されるな」「金持ちに迎合するな」「金持ちは軽蔑しましょう」と、我々おとなしい庶民を代弁するように、厳しい言葉を使って非難しています。貧乏側に立つ著者の論理には納得できる所も多くあります。

本の目次は、お互い様の意識、助け合っていた時代の「貧乏の世間学」、次に、金持ちの「資本の論理に毒されるな」、さらに、「清貧の美学」は金持ちの思想、だまされてはならない。そして「貧困の宗教学」と、マクロな視点で「幸せな貧乏」を述べています。このような視点で貧乏を考えたことがないので勉強になります。幸い、金持ちの限りない欲望に比べれば、貧乏人の望み、欲望はささやかです。考え方しだいで幸せはすぐ手に届くところにあるのでしょうか。

著者と同じように、私も現在の資本論理、いままでの延長線上にある、もう手詰まりな経済政策には疑問を持っています。大手企業も業績が悪くなると大リストラです。それも安易に慢性化しています。それに国内工場を閉鎖し、海外工場で作った製品を、職を失った人、万年契約社員として働いている人にも、あの手この手で消費させようとします。また、経団連はお決まりの円安歓迎です。賃金上昇は僅かで輸入物価の上昇です。とても賃金アップー消費拡大ー賃金アップのサイクルにはならないでしょう。金融緩和も実体経済への投資ではなく、株などの投資に向けれらています。本屋に山積みされた株の本をサラリーマンが立ち読みするようになると、懲りない危険の匂いがします。

「少欲知足」、欲望を少なくし、足るに知る心を持て、釈迦の教えだそうです。「欲しいと思う物を買わず、必要な物だけを買いなさい」、そして貧乏でも楽しめる生活に変えなさいと。著者は言っています。

近未来、大きな負の変化が予想されます。その変化に対応して乗り来て大金持ちになることもできるかもしれません。でも、「小欲知足」で生きてそんな不便もないような気がします。教養本としても読める一冊でした。

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iBooks「貧乏」のすすめ – ひろさちや

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